焼酎図鑑【黒糖】

口当たりは比較的柔らかく、癖が少ない。原料から想像されるほどに甘味は強くない。

奄美群島では江戸時代から第二次世界大戦以前まで、泡盛や黒糖酒(黒砂糖原料の蒸留酒)が製造されていた。しかし戦間期から戦後のアメリカ占領時代にかけ、米不足で泡盛の原料に事欠く一方、黒砂糖は日本本土に移出できず余剰だったことから黒糖酒が多く作られるようになった。

1953年、奄美群島の日本返還に伴い日本の税法を適用するにあたり、黒糖酒は酒税法上「焼酎」として扱われず税率が高いことから、「焼酎」扱いを望む島民の要望もあり、取り扱いに関して議論がなされた。当時の大蔵省は振興策の一環として、米こうじ使用を条件に、熊本国税局大島税務署の管轄区域(奄美群島)に限って黒糖原料の焼酎製造を特認した。

以後、日本の黒糖焼酎は奄美群島でしか製造できない特産品となって現在に至っている。また現在、奄美群島では泡盛は製造されておらず、黒糖酒は全域で製造されている。

小笠原諸島において、日本領土になった明治時代初期からサトウキビ栽培によって製糖業が盛んとなり、その過程で生じた副産物を発酵・蒸留した製法で、焼酎に類似する「糖酎」「泡酒」「蜜酒」と呼ばれた酒が戦前に醸造されていた。戦時中の島民疎開により途絶えていたが、1989年(平成元年)になって村おこしの一環として小笠原村の役場・農協・商工会によってこれを扱う企業が設立され、その製法を模したラム酒が製造されている。税法上はラム酒(スピリッツ、もしくはリキュール類)の扱いとなっている。

 

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